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西行戻しの松公園 西行法師が諸国行脚の折り、松の大木の下で出会った童子と禅問答をして敗れ、松島行きをあきらめたという由来の地。 この公園の一帯は260本余の桜の名所で、展望台からは桜と松島湾の景色が一体となった、他に類をみない花見が味わえます。 町道松島パノラマ線を利用すると便利です。(パノラマラインは冬季間は閉鎖しております) |
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軒端の梅・三聖堂・比翼塚 鎌倉時代、北条時頼が家臣・蜂谷美濃守を松島円福禅寺(瑞巌寺)守護のために派遣。子孫が松島に到着しました。 そして、子孫・蜂谷掃部は、子宝に恵まれぬことから、観音様に祈願したところ、やがて男の子が誕生、名は小太郎。 小太郎は、観音堂に梅の若木を植えてこよなく愛していました。 小太郎が15歳の春、父が伊勢参りで道連れとなった象潟の商人と親しくなり、小太郎と商人の娘の結婚を約束したのです。 ところが、帰国した父は小太郎が病死したことを知ります。掃部は泣きながら商人の娘に訳を話しましたが、娘は松島の人となり、 掃部夫妻に孝養をつくしたのです。のちに娘は髪をおろして名を紅蓮と改めました。小太郎が愛した梅の木が軒端の梅で、 梅のもとには紅蓮尼と小太郎の碑・比翼塚が建てられています。蜂谷氏が観音仏を守っていたことから、 その後、瑞巌寺百一世鵬雲が観音を本尊とし、左に達磨、右に菅公を配した三聖堂を建立しました。 |
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円通院 円通院は瑞巌寺の西隣にあり、二代目藩主忠宗の次男光宗の廟所。 光宗は文武両道に長じていたため、外様大名から名君が出ることを幕府が警戒し恐れ、毒殺されたというのが定説です。 その死を悼んで建立された御霊屋(三慧殿)は支倉常長がヨーロッパから伝えた西洋文化の影響が強く、 厨子の右扉の内部には日本最古といわれる西洋バラが描かれています。金箔の地に白・赤・緑の三色を用い、 材料には緑青やサンゴを使用しているので、永久に変色することはありません。 バラ寺の愛称で親しまれていたのは、天野明道住職が院内6000平方メートルあまりに色とりどりのバラを植え込んで開放したためです。 現在ではバラの数は少なくなり、境内いたるところにコケを配して、コケ寺として訪れる人々に安らぎを与えています。(国重要文化財) |
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