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小倉寺観音 市内弁天山の麓にあり、坂上田村麻呂が東北鎮護のために行基菩薩を開基したと伝えられている。 寺には国の重要文化財に指定され、平安時代前期の貞観様式で県内最大のといわれる高さ4mにおよぶ一本のカヤの木から作り出された千手観音があり、境内にある収蔵庫で保存されている。 また、春には樹齢300年といわれる「枝垂れ桜」や「稚児桜」と呼ばれる伝説の残る桜が美しい花を咲かせます。 |
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岩谷観音 信夫山の中腹、東側の岸壁に掘られた磨崖仏群で三十三観音、地蔵尊、不動尊など60余対が刻まれている。平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、この地を支配していた豪族、伊賀良目氏が岩をくりぬいて造ったお堂に、持仏の聖観音を祭った窟(いわや)観音に始まるとされ、その後独立した観音堂が建立され現在の観音堂は慶長19年(1614)に再建されたものである。 磨崖物は江戸時代に庶民の間に西国三十三観音を模した仏体を礼拝することが流行し、この地にも三十三観音が刻まれたと言われています。 |
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医王寺 源義経の家臣、佐藤継信、忠信一族の菩提寺、源平合戦において、継信、忠信兄弟は義経の身代わりとなり壮絶な最後を遂げたと言われています。戦いで二人の息子を失った老母のために嫁達が武将の姿をして慰めたとの話が残っています。また、元禄二年五月「奥の細道」の途中医王寺を訪れた松尾芭蕉は、佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」と詠んでいます。その笈は今もこの寺の宝物殿に安置されています。 |
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