「へつり」とは地元の方言で険しい崖のこと渓流沿いの岸壁約100メートルが、およそ100万年の歳月のうちに川の流れや風雨で帯状に侵食されたもので、奇怪な岩々が点在する。吊り橋を渡って歩くのはスリルがあって一興である。紅葉のシーズンが一番賑わう、国指定の天然記念物。藤見公園という別名もあり、フジの花が咲く頃の景観も素晴らしい。
室町時代に領主・芦名盛久がこの地に別荘を建て、寛文10年(1670)に松平氏二代の保科正経が薬草園を設けたのがこの地の始まり。元禄9年(1696)、三代松平正容になって遠州流の回遊・船遊式の本格的な借景園を築庭させた。園内のには心字の池が配され、その中央の島には数寄屋造りの楽寿園が建っている。庭樹は500年余りのキャラボクやコウヤマキなどがあり、薬草園は300余種の薬用植物を栽培し、四季折々の美しさを見せてくれる。昭和7年に徳川の大名型山水庭として国の名勝指定を受け、無休で公開している。
築城から600余年の歴史をもつ白亜の会津若松城は、別称を「鶴ヶ城」とも呼ぶ。街の中心から南寄りにあり、市民の心のシンボルともいうべきこの城は、戦国時代に芦名氏が居城を構えたことから歴史が始まる。以来上杉氏・蒲生氏・加藤氏・保科氏・松平氏と時代は変遷し、城も改修を加えられ、幕末の動乱期を迎えた。幕府側として戦った会津松平は、戊辰戦争においてついに城下戦となり、城下町のあちらこちらにさまざまな悲話・哀話を残すことになる。明治になって破却された天守閣は昭和40年に再建され、現在は内部を郷土博物館として公開している。