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六義園 1695年に、五代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保が綱吉から賜った地に下屋敷を造り、そこに造成した庭園である。 御殿を六義館、庭園を六義園と称した。 『詩経』の六義(りくぎ)から園名が名付けられている。 江戸初期に完成した桂離宮の庭園の様式を採用した回遊式築山泉水庭園である。 元禄時代の明るいおおらかな気風を反映した江戸大名庭園の代表的なものである。 |
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育徳園心字池 元和元年(1615)の大阪夏の陣の後、加賀藩前田家が幕府から現在の東京大学の敷地を賜った。寛永3年(1626)前田家3代利常の時に、徳川3代将軍家光訪問の内命を受け、殿舎、庭園の造園にかかり完成までに3年を要した。 外様大名として誠意を示す必要があったためである。 このとき完成した庭園が育徳園と呼ばれ、池を心字池といった。 夏目漱石の名作『三四郎』は、ここを舞台としたため、誰言うとなく「三四郎池」と呼ばれるようになった |
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金刀比羅神社 文政2年(1819)下板橋宿の板橋市左衛門が所有地内に金毘羅大権現を勧請した。 明治13年(1880)無格社・金刀比羅神社として公認された。 昭和30年代になり、崇敬者の要望により、松平頼明氏から寄進された現社地に金刀比羅宮直轄境外末社・東京分社として再興することになった。 ここは、高松藩松平家上屋敷の邸内社として寛政5年(1793)に勧請された金刀比羅宮が祀られていた場所である |
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