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温泉街の中心で湯煙をあげる雲仙地獄は雲仙を代表する観光名所。白煙を上げているのは30あまりの硫気孔で、あたりには硫黄の臭いがたちこめている。ここはかつてのキリシタン迫害の地であり、さまざまな哀史が残る。キリシタン殉教碑や映画『君の名は』で有名になった真知子岩もあり、一周約30分で地獄めぐりができる。散策途中に地熱でゆでた名物温泉たまごを味わおう。

松平氏が島原城主となって20年目の1689(元禄2)年に希声英音和尚によって開山され、松平家の菩提寺となった寺。寺がある場所は中世には、領主であった島原氏の出城、丸尾城があった場所。境内には松平家墓地、十六羅漢窟のほか島原城内から移築された常盤御殿があり、常盤御殿は「常盤歴史資料館」として松平家の遺品など1000点余を収蔵展示している。十六羅漢は、島原藩4代城主・松平忠刻が、領内から17人の石工を選んで1人1体ずつ刻ませた石仏。

小高い丘の上に立つ島原城は1618(元和4)年から7年をかけて松倉豊後守重政が築城。かつては豪壮堅固な城構えで知られていた。松倉氏・高力氏など4氏19代で253年間の居城だったが、1874(明治7)年に廃城。1964(昭和39)年、五層の天守閣や三層櫓を配して復元された姿は、安土桃山様式の面影を色濃く残している。天守閣は島原の乱やキリシタン弾圧の資料などを展示するキリシタン史料館。またお堀の桜、ハス、ショウブが季節を彩り、人々の目を楽しませている。

周囲4kmの三方を有明海に囲まれた原城は1637年に起きた島原の乱の舞台となったところ。天草四郎率いる3万余人の一揆軍が12万もの幕府軍を相手に最後の一人になるまで闘いをやめなかったと伝えられている。昭和13年に国指定史跡となり、本丸前に残る石垣などが当時をしのばせる。築城は1496(明応5)年、当時26万石といわれた有馬貴純の築城とされ、別名「日暮城」とも呼ばれた美しい城だったといわれている。

島原市は、古くから「水の都」と呼ばれ、雲仙山系からの伏流水が市内随所に湧出し、「島原湧水群」として環境省の「日本名水百選」にも選定されている。市内でも新町一帯は、とくに湧き水が豊富で、1日1万tが湧出する。清流の流れる水路に、市民が鯉を放流し「鯉が泳ぐまち」として、観光客の目を楽しませてくれる。新町町内会が湧水を大切にしようと昭和53年に鯉を放したのが始まり。今では1000匹の鯉が泳ぐようになった。毎年子供の日に鯉の放流が行なわれている。



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