湯築城外堀
道後公園 湯築城跡/松山市道後
湯築城は中世の伊予国守護河野氏の居城で、建武年間に河野通盛によって築城されて以来、豊富秀吉の四国征伐によて廃城する迄、約250年間にわたって伊予国の政治・軍事・文化の中心でした。現在の道後公園全体が湯築城跡(南北約350m、東西約300m) で、中央に丘陵(標高約72m 伊佐庭の岡と呼ばれていた)があり、周囲に二重の堀と土塁を巡らせた平山城です。最初は丘陵部を利用した山城でしたが、16世紀前半に外堀土塁を築いたものと推定されます。また、江戸時代に描かれた絵図から、東側が大手(表)、西側が搦手(裏)と考えられます。


湯釜薬師/松山市道後
天平勝宝元年(749年)奈良時代の作と云われ高さ157センチ、直径166センチ円筒形 の花崗岩で、上部前面に薬師如来像が彫られている。 その上の宝珠には正応元年(1288年)河野通有の依頼で一遍上人が「南無阿弥陀仏」 の六文字を書いたといわれている。 また、側面には享禄四年(1531年)に河野通直が尾道の石工に命じ、天徳寺の徳応禅 師による温泉記が彫られている。 この湯釜は、明治27年(1894年)に現在の温泉本館ができるまで、使用されていたが、 昭和25年に道後公園に移され保存され、湯釜薬師として祭られている。以来8月1日を湯 釜薬師祭として親しまれている。 昭和29年に県の重要文化財に指定された。


子規記念博物館/松山市道後
俳人・歌人として明治の文壇にその名を刻む松山出身の正岡子規。道後公園内にある白いモダンな記念館では、人間・正岡子規をテーマごとに紹介するとともに、手紙・短冊・書籍約1万7千点を収集・展示。子規が夏目漱石と同居した愚陀仏庵も復元しています。



神の湯
道後温泉/松山市道後
三千年の歴史を数えるという、日本最古の名湯。そのシンボルとも言える本館は 築後100余年を経ており、国の重要文化財にも指定されています。夏目漱石もたびたびこの湯を訪れ、その愛着からか、小説「坊っちゃん」にも登場させています。昔ながらの風情を伝える道後温泉本館。三層楼には、赤く光るギアマン(ステンドグラス)があり、その頂点には一羽の白鷺が翼を広げています。館内は、神の湯、霊の湯、皇族専用の又新殿があります。


石手寺/松山市石手
石手寺は四国霊場88ヶ所第51番札所。重厚な趣の仁王門は3間1戸重層の楼門で、寺伝によると文保2(1318) 年の建立。屋根は入母屋造り本瓦葺き、木割りも雄大で、均整のとれた美しい姿をみせています。蟇股(かえるまた)の彫刻は前後両面ともそれぞれ異なった唐草模様がほどこされ、楼門両脇には金剛力士像が配されています。鎌倉末期の楼門建築中の代表作と賞されており、国宝に指定されています 。境内で静かにたたずむ三重塔は、国指定の重要文化財。3間3層、屋根は本瓦葺きで、宝珠・水焔・九輪・請花・覆鉢・露盤からなる鉄製相輪があります。屋根の反りも軽妙で、手法にはほとんど唐様がみられず、各層の均整のとれた調和も見事。その手法から楼門と同時代に建てられたといわれ、鎌倉時代の三重塔として県下唯一のものとなっています。


伊佐爾波神社/松山市
道後公園のほど近くにあり、古くは湯月八幡と称し延喜式にも列した古社。本殿は寛文7(1667)年、4代松山城主松平定長が造営したもので、楼門・回廊・申殿・本殿からなる典型的な八幡造り。国指定の重要文化財。造営にあたっては山城男山八幡宮の規模を模したといわれており、現在、京都の石清水八幡宮・大分の宇佐八幡宮とともに全国で3つしかない貴重な八幡造り建造物です。



〒790-0836 愛媛県松山市道後鷺谷町1-1


外観 客室(和室)
露天風呂 ロビー