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名古屋城 名古屋城は、慶長5年(1600)天下分け目の戦であった関ヶ原の合戦後、徳川家康が江戸幕府の安泰のために、東海道の要所として、また大坂(現大阪)方への備えとして築城したものです。 家康は、慶長14年(1609)に清須(現愛知県清洲町)から名古屋への遷府を決定し、慶長15年(1610)に加藤清正・福島正則・前田利光等北国・西国の諸大名20名に普請(土木工事)を命じ、築城が始まりました。慶長17年(1612)に名古屋城の天守閣や諸櫓がほぼ完成し、その後本丸御殿や二之丸御殿が順次完成しました。 |
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明治村 明治時代は、我が国が門戸を世界に開いて 欧米の文物と制度を取り入れ、それを同化して近代日本の基盤を築いた時代で、飛鳥・奈良と並んで、我が国の文化史上極めて重要な位置を占めている。明治建築も従って江戸時代から継承した 優れた木造建築の伝統と蓄積の上に、新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れ、石造・煉瓦造の洋風建築を導入し、産業革命の進行に伴って 鉄・セメント・ガラスを用いる 近代建築の素地を築いた。これらの建築のうち、芸術上、歴史上価値あるものも、震災・戦災などで多く失われ、ことに戦後の産業の 高度成長によって生じた、大小の公私開発事業により、少なからず姿を消していった。取り壊されてゆく これらの文化財を惜しんで、その保存を計るため、今は二人とも故人となられたが 旧制第四高等学校同窓生であった 谷口吉郎博士 ( 博物館明治村初代館長 ) と 土川元夫氏 ( 元名古屋鉄道株式会社会長 ) とが 共に語り合い、二人の協力のもとに 明治村が創設されたのである。 |
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熱田神宮 熱田神宮の創始は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代、日本武尊は神剣を名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。尊のお妃である宮簀媛命は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。 |
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